活動報告:助成事業

全国に散った発達障害の子どもたちを見守って MMサポートセンター

「市から借りた900坪のゆったりした土地に24坪と40坪の建物を自分たちで建ててね、120人くらいのこどもたちが通って軌道にのっていたのに…そこに突然…。ああ、あのとき以前に戻りたい。」悲痛な言葉で谷地ミヨコさんは振り返る。発達障害の子どもたちの支援を目的として平成17年に南相馬市でNPOを立ち上げ、今はその代表だ。

地震で施設が倒壊したのでもない。津波で流されたわけでもない。施設はちゃんと残っている。しかし原発事故とともに子どもたちがいなくなったのだ。地元に住む子は10名程度、約100人が県内なら福島市か郡山市の中通地域、県外は北海道から沖縄県にまで散っていった。南相馬の施設は事故現場から30キロ圏のすぐ外、利用家族は強制避難もあれば自主避難もあるが、いずれにしろ子どもを通わせたり宿泊させたりできる場所ではない。

谷地さんたちは、事故の発生とともに宮城県名取市の住宅地にある「S-空間」に拠点を移した。館腰駅のすぐ前、ちょうど2年前に地元の保護者の要望で立ち上げた施設だ。NPO法人の施設にすると所轄庁を福島県から宮城県に変更しないといけないので、取り敢えず個人事業として運営している 。南相馬に住む10名の子どもたちは、約1時間かけてここに通い、地元の子どもたちと一緒に時間を過ごす。時間的にも費用的にも負担が大きい。指導員でもある谷地さんのご主人が、車で送り迎えをする。それも大変だが、それはまだいい。

問題は散っていった100人の子どもたちだ。それぞれの避難地で、発達に障害をもつ子どもたちは、どんな困難をかかえていることだろう。親たちの戸惑いや苦悩は、もっと大変かもしれない。

谷地さんたちは、全国の避難先に電話で連絡をとり、相談にのる。それだけではない。県内なら車ででかけ、持参した玩具やグッズで車の中で子供たちと遊ぶ。狭い避難先の住宅では、そのスペースすらないからだ。新幹線で首都圏にも向かう。さらに飛行機で沖縄や札幌にも向かう。埼玉では幸いにも指導員だったスタッフが避難してサポートしているので、集団的なケアも可能という。だが、それは例外で、ほとんどは谷地さん夫婦が個別に対応する。地元の教育関係者や福祉関係者にも会い、子どもや親たちにも繋ぐ。そしてその後も電話で連絡をとる。

こうしたサポートを今後いつまで続けないといけないのか。その膨大なガソリン代や旅費や電話代は、行政の補助の仕組みからも原発補償からもでてこない。「昨日、突然ね、東電から就労補償の打ち切りが伝えられたの・・・」怒りに身震いしつつ、その素っ気ない通達文書を見せてもらった。自らの生活さえ脅かされる中で、このサポートをどう続けたらよいのか、谷地さんたちは、今、迷っている。

改正NPO法が施行された2012年4月以降ならその必要はないのだが、活動を始めた南相馬市の主たる事業所が空っぽなら所轄庁は福島県から宮城県に移さないといけなくなる。そうなると南相馬市から借りた土地は更地にして返却しないといけないが、そのためには数百万もかかる。そんな資金はないため、身動きもとれず、現状維持が続く。

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